記憶は生きるための燃料
人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないのかな。
その記憶が現実的に大事なものかどうかなんて、
生命の維持にとってはべつにどうでもええことみたい。
ただの燃料やねん。
新聞の広告ちらしやろうが、哲学書やろうが、
エッチなグラビアやろうが、一万円札の束やろうが、
火にくべるときはみんなただの紙きれでしょ。
火の方は『おお、これはカントや』とか
『これは読売新聞の夕刊か』とか
『ええおっぱいしとるな』とか考えながら燃えてるわけやないよね。
火にしてみたら、どれもただの紙切れに過ぎへん。
それとおなじなんや。
大事な記憶も、
それほど大事やない記憶も、
ぜんぜん役に立たんような記憶も、
みんな分け隔てなくただの燃料
なんでかはうまく説明できない。
でもなにもなくなっちゃうとすがりたくなるよね。